2009年 03月 09日
遠山記念館
時々通る道路沿いに看板が出ていて何時も気にかかっていたのですが寄ってみました。
登録有形文化財の遠山記念館です。
川島町の出身である日興証券の創立者遠山元一氏が苦労した母親の住まいとするために立てたもので、伝統的な日本建築で全国各地の銘木と選りすぐられた技術によリ2年7ヶ月の歳月をかけて昭和11年に完成させたものです。長屋門、渡り廊下で繋がる東棟、中棟、西棟からなっています。母親没後は主に遠山元一氏の接客に使用していましたがその後邸宅と遠山元一氏が長年に亘って蒐集した美術品などを一般に公開することを目的として昭和45年に開館したものです。
この日は雛の世界展が開催されていました。ひいな遊びから江戸時代の人形、大型で豪華な享保雛から茄子雛までのほか蘇我人形、御所人形などが展示されていましたが撮影禁止となっておりました。又遠山家の豪華なひな壇飾りも展示されていました。
遠山邸入り口付近
茶室の梅の古木が屋根の上まで長い年月を思わせます。 客室や茶室の傍には水琴窟がありました。
庭石には佐渡の赤石が使われていました。 建物内の様子
登録有形文化財の遠山記念館です。
川島町の出身である日興証券の創立者遠山元一氏が苦労した母親の住まいとするために立てたもので、伝統的な日本建築で全国各地の銘木と選りすぐられた技術によリ2年7ヶ月の歳月をかけて昭和11年に完成させたものです。長屋門、渡り廊下で繋がる東棟、中棟、西棟からなっています。母親没後は主に遠山元一氏の接客に使用していましたがその後邸宅と遠山元一氏が長年に亘って蒐集した美術品などを一般に公開することを目的として昭和45年に開館したものです。
この日は雛の世界展が開催されていました。ひいな遊びから江戸時代の人形、大型で豪華な享保雛から茄子雛までのほか蘇我人形、御所人形などが展示されていましたが撮影禁止となっておりました。又遠山家の豪華なひな壇飾りも展示されていました。
遠山邸入り口付近
庭石には佐渡の赤石が使われていました。
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山小屋
at 2009-03-09 21:42
x
随分昔に行ったことがあります。
もうすっかり忘れました。(笑)
茅葺き屋根だけは憶えています。
佐渡の赤玉石があったのですか?
故郷を思い出しました。
もうすっかり忘れました。(笑)
茅葺き屋根だけは憶えています。
佐渡の赤玉石があったのですか?
故郷を思い出しました。
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amamianguide at 2009-03-10 07:34
凄い!!
技術水準と 感性が求めた造形美が随所ですねぇ・・・。
欄間の繊細さは職人のレベルの高さを示しています
心の置き場所がはっきりとわかり 落ち着きますよねぇ
目の保養が出来ました
ありがとうございます!!
技術水準と 感性が求めた造形美が随所ですねぇ・・・。
欄間の繊細さは職人のレベルの高さを示しています
心の置き場所がはっきりとわかり 落ち着きますよねぇ
目の保養が出来ました
ありがとうございます!!
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yokkosan3 at 2009-03-10 16:01
山小屋さん
この茅葺き屋根は印象に残りそうですね。
佐渡の赤玉石と分かったのは団体の方達と一緒になり丁度石のところに集まり説明していたからです。
赤石は貴重な石でこの石が敷石に使われていると庭園の凄さが分かると言っていました。
この茅葺き屋根は印象に残りそうですね。
佐渡の赤玉石と分かったのは団体の方達と一緒になり丁度石のところに集まり説明していたからです。
赤石は貴重な石でこの石が敷石に使われていると庭園の凄さが分かると言っていました。
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yokkosan3 at 2009-03-10 16:19
amamianguideさん
この他にもフジの花の欄間などがあり、引き戸などにも繊細な模様が彫ってあったり職人の技が光っていました。
こまごまとした心遣いが見うけられました。
日本建築の素晴らしさが分かったような気がしました。
この他にもフジの花の欄間などがあり、引き戸などにも繊細な模様が彫ってあったり職人の技が光っていました。
こまごまとした心遣いが見うけられました。
日本建築の素晴らしさが分かったような気がしました。
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toruneko65 at 2009-03-12 00:38
素晴らしい邸宅ですね。テレビかなんかで、拝見したような。^^
当時の最高の建築技術だったのでしょうね。
苦労したお母様の安住の住みかとして建てられたという
ところが良いですね。珍しいものを見せていただきました。
たぶん、足を運ぶことはないと思いますので、ブログを持っていて
良かったと思う瞬間でした。
当時の最高の建築技術だったのでしょうね。
苦労したお母様の安住の住みかとして建てられたという
ところが良いですね。珍しいものを見せていただきました。
たぶん、足を運ぶことはないと思いますので、ブログを持っていて
良かったと思う瞬間でした。
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yokkosan3 at 2009-03-12 16:30
toruneko65さんへ
当時としては最高の用材と技術で作ったそうです。
遠山元一氏は小学校を出るとすぐに住み込みの丁稚奉公から株式業界に入って成功して、人手に渡っていた生家跡地を買い戻して苦労したお母さんのために建てたのだそうです。
そんな思いが込められた住まいなのです。
当時としては最高の用材と技術で作ったそうです。
遠山元一氏は小学校を出るとすぐに住み込みの丁稚奉公から株式業界に入って成功して、人手に渡っていた生家跡地を買い戻して苦労したお母さんのために建てたのだそうです。
そんな思いが込められた住まいなのです。
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yokkosan3 at 2009-04-24 21:04
by yokkosan3
| 2009-03-09 17:09
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Comments(8)